旧書庫の蔵書は学校の記憶

校長(名誉会長)難波文彦(77期)

 旧図書館の書庫に、明治から大正そして昭和前半にかけての古い書籍が数千冊収蔵されていた。保存状態が劣悪だったこともあり、旧校舎の解体にともない廃棄するか保存するかを巡り紆余曲折はあったが、最終的に全て保存することとした。そして、一冊一冊カビや汚れを拭き取る作業をする中で多くの貴重な書籍が見つかり、新たな事実を知ることとなった。それを書き残して伝えることが使命と考え、ここにそのいくつかを紹介する。

旧図書館に並べた古書籍

・「関藤成緒紀念図書」と押印された書籍が多数見つかり、当初は本校初代校長である関藤成緒本人が本校に寄贈した書籍かと思っていたが、その後「亡父成緒紀念図書トシテ寄送仕候也 関藤國助」と押印された書籍が見つかったことで、初代校長の子息が父の死後に本校に書籍を寄贈していたことが分かった。

・「秋田県第三中学校」という蔵書印が押印された書籍が数冊見つかった。本校の校名は明治三十一年の創立当初は「秋田県第三尋常中学校」だったが、その翌年に「秋田県第三中学校」、さらにその二年後には「秋田県立横手中学校」と改称している。そして明治三十九年の火災により寄宿舎を除き校舎が全焼した。このような経緯を考えると、その書籍は、開校から間もない頃のもので火災による焼失も免れた貴重なものと言える。

・太平洋戦争後の学校教育において、一時期「墨塗り教科書」が使用されたことはよく知られているが、「墨塗り百科事典」「墨塗り地図帳」「ページ削除書籍」も存在した事実がわかった。例えば、全二十冊の百科事典「広文庫」(大正年間刊)は該当する用語やページに墨が塗られたり切り取られたりしていた。「大日本地名辞典並ニ交通地図大鑑」(昭和四年刊)は掲載のアジアの地図の南樺太、朝鮮半島、台湾および琉球諸島が墨で塗りつぶされていた。日本の政治・経済・産業などの概説書である「国民叢書」(明治四十五年刊)の軍事および外交に関する箇所が目次・本文とも切り取られていた。

・貴重な書籍として、例えば、アイヌ語とそれに対応する日本語および英語を併記(カムイ:神 A god. イランガラプテ:如何デスカ(訪問ノ辞) How do you do. など)した「アイヌ語英和辞典」(明治三十八年刊)が見つかった。また、イギリスで一九二〇年代に刊行された図解百科事典「I SEE ALL」全五巻が見つかった。この事典は、昭和初期に本校に教諭として勤務していた佐藤隆太郎氏の寄贈図書であり、のちに新図書館竣工後の昭和二十八年に作成された「図書館要項」において貴重図書の一つとされた。そのほか人文科学系・社会科学系から理工学系や医学系・薬学系まで各学問分野の専門書が多数残されている。

・海外で出版された英語の書籍や辞書(いわゆる洋書)も数十冊残っていた。多くは刊行年代が不明であるが、英語教員が英語教育のために使ったものとも考えられるし、明治三十五年から大正期にかけて在籍していた外国人英語教師が使っていたものかもしれない。

・横手中学校時代の蔵書印は、ほとんどが「秋田県立横手中学校」だが、「横手中学学習指導室」という蔵書印が押印された書籍も多数見つかっている。昭和初期に学習指導室が設置されたことは記録にも残っているが、どのような部屋でどのような使われ方をしたか(図書室との違いなど)は不明である。

・和綴じ本も数百冊残っており、中には江戸時代に出版されたものもある。入手の経緯等は不明であるが、「細谷則理」という蔵書印が押印されているものもあるので、明治三十四年から昭和初期まで本校に教諭として勤務し、郷土史や方言の研究者でもあった細谷則理が何らかの関わりをもっているかもしれない。

・昭和二十九年度までの本校の校名である「横手美入野高校」という蔵書印が押印された南原繁氏の著書「真理の闘い」(昭和二十四年刊)が見つかった。当時の生徒たちは、昭和三十三年に同氏揮毫の「天佑自助」の扁額が体育館に掲げられる以前から、この書籍をつうじて同氏の政治哲学を学んでいた、と言える。

・昭和二十年代後半以降に刊行された商業関係(簿記や企業経営など)の書籍が何冊か見つかった。これは昭和二十八年度から約十年間、本校に商業科が設置されていたことによると考えられる。

・書籍に挟んだまま残された考査問題、写真、メモの紙片、葉書、封書も見つかり、余白や裏表紙などに書き込まれた落書きもあった。最も印象に残った落書きは「観念的運命を克服せよ」であった。

以上、確認できたのはまだほんの一部ではあるが、本校の歴史の一端を知ることができた。以前、タモリがテレビ番組「ブラタモリ」の中で、「地名は土地の記憶。だから変えちゃいけない。」と語っていた。古い地名が、その土地の成り立ちや、そこで繰り広げられた人々の営みを伝えるように、本校所蔵の古い書籍は、本校の歴史や歩みを証言する貴重な資料である。いま我々は、連綿と続く本校の歴史や伝統の上に立っている。本校の礎を築いた先輩たちの努力やその結果としての社会での活躍があったからこそ現在の横手高校はある。ゆえに我々には、旧書庫の蔵書から本校の歴史を丹念に読み取り、これまでの歩みを明らかにする責務がある。

現代とは異なり、得られる情報がきわめて限られていた環境の中で、専門知識を高めようとしていた教員の熱意や、青雲の志を遂げるべく一生懸命学んでいた母校の先輩たちの覚悟から教えられることが、確かにある。

「関藤成緒紀念図書」の押印

 

墨塗り地図帳

「美入野124」巻頭言より