【第7回】南原繁と天祐自助

東京美入野同窓会広報委員長
栗 谷 秀 美(66期)

 関連した歴史は相応に遡らない限り、意味が繋がらないことがよくある。本件もその類だと思う。

 さて、イギリスの思想家で作家のサミュエル・スマイルズの「自助論一西国立志編」を中村正直が翻訳し、明治2年に日本で発売された。この後の明治5年から9年にかけて17編発売された福沢諭吉の「学問のすすめ」と伴にこの二冊は明治初期の大ベストセラーになった。近代の国民国家たらん為に国民一人一人が自立しなければならない・・・と、言う自覚した二書と言える。

 特に英米人三百人以上の成功例を集めた「自助論」の中のキ一ワ一ドの「God helps those who help themselves.」は聖書のどこにも記されていない一文であるが、読む人に感動を与え続けた。この自助論が発売された時6才とか7才だった幼少の頃の新渡戸稲造と内村鑑三が居たが、後年札幌農学校に入学し、キリスト教を教わり強い影響を受けた。二人とも農学校時代入信してクリスチャンになったが卒業後キリスト教から完全に離れないまでも独自の道を歩んでいる。

 時に第一高校(一高)時代の南原繁の入学時の校長が新渡戸稲造だった。南原は新渡戸に強く心酔し、後に内村鑑三の影響も受けることになる。

 さて、一転して昭和32年8月、母校でもニセ教師事件が発覚し、処分があった。今では何についてもSNSで発表している方がいて、「Fake teacher case横手高校ニセ教師事件」で検索すれば詳細はほぼ判明出来る。発覚の理由を投稿者は知らないと言っているが54期の樋渡隆芳(山岳部の先輩)氏がさきがけ勤務の叔父に電話した結果、一気に判明したということだ。

このニセ教師の代わりに母校に赴任したのが後に名物教師となって母校に名を轟かせることになり、山岳部で十数年連続して優勝させ、昭和42年には日本一にまでのし上げた宇佐美晃一氏(48期)、その人であった。かく言う私が山岳部で57年前の甲子園の当日8月14日は尾瀬の燧ヶ岳でインタ一ハイの大会に出場中だった。前述の話の粗方は先生や先輩たちからテントで聞いた話なので真実に迫っている。この点ではませた生徒だった。

 さて昭和32年4年に母校に赴任した第20代校長の佐々木真鋼氏は四ケ月半で母校の不祥事に遭遇したことになる。赴任した時は既にニセ教師は在校していたので採用責任はないものの自分の母校東京大学卒業を騙っての虚偽だ。校長に「何かしら東京大学の証が欲しい」という要求が方々から在っただろうことは容易に想像がつく。そこで佐々木校長が恩師だったという南原繁に依頼して「天佑自助」の扁額を書いてもらった。「天佑自助」という四文字熟語は未だ日本には存在しない。「天佑神助」なら在る。大いに在る。言わば「神様、仏様」に近い表現で日露戦争の特に日本海海戦記に繰り返し使われた表現だ。母校卒業の作家、加藤富夫氏(42期)の「口髭と虱」にも登場する表現だ。この「天佑神助」の一字を入れ替えて「天佑自助」として母校に送ったに違いない。「違いない」とはいかにも無責任だ。そこでこの論説を同期で42代校長の五十嵐隆文氏に手紙で披瀝したら「全くその通りだ」とお墨付きを頂いた。南原が母校以外に六・七校に扁額を寄贈したことは知られている。しかし、尚、推論の域を出ない。ついては、まず扁額の期日をお調べ頂くことと、更に異論や反論がお有りの場合は、是非是非ご一報頂きたい。

第20代—佐々木真綱校長
「天祐自助」-南原繁筆 昭和32年9月
創立60周年を記念して「天祐自助」の扁額をステージに掲げる